第10回作文コンクール入賞作品

一般の部 
最優秀賞 柴部 文嘉
優秀賞   平岡 和芳
佳作    松本 俊幸
       坂 晋宏
       賀川 康弘


一般の部 最優秀賞 『我が家の太陽へ』 大宮本部 柴部 文嘉
柴部。学校でも職場でも読まれた事の無い変わった珍しい苗字。由来は、羽柴秀吉の家来であり、その名に一文字、柴をいただいたとかなんだとか。
岡山にある本家から祖父祖母が駆け落ちし今では近畿にひとつしか存在しない柴部家。「ここ奈良で柴部家を盛り上げていこう。」家族の事を思えば、そんな父の言葉が浮かぶ。
そんな5人家族を太陽のようにいつも照らし支える母さん。僕はあなたに、たくさんの世話をかけたよね。
そういえば、僕が小学3年生の頃、突然に「学校に行きたくない」と言った事があったよね。理由を聞く母さんに「友達に砂場で虐められるんだ」と言うと、母さんは涙浮かべて部屋を出て行ったよね。ごめんね、あれは嘘だったんだ。本当はずる休みをしたかったんだ。
そんな事が続いて、何日か休むと学校に行き辛くなって不登校になっていく僕。部屋のドアを蹴飛ばして胸ぐらを掴んで学校へ連れていく父さん。あの頃は本当に大嫌いだった。それを止める母さん。弟も二人いるのにダメダメな長男だったよね。
知ってる?5年生から僕は変わって学校に行くようになって、夕飯のお使いに立ち寄ったスーパーで初めて自分のお小遣いで買ったカーネーション。喜んでくれた母さんの顔が忘れられなくって、それから毎年母の日には、買うようになったんだ。
蕾の多い花を贈ると母さん喜ぶよね。「育て甲斐がある」って。それって俺の事?そりゃまだまだ頼りにならないかもしれないけどさ。
母さんが年取って腰が曲がった時に、しっかり支えられる強い男になるから。いつもありがとう。いつも心配かけてごめん。ちゃんと飯食ってるよ。ありがとう。


一般の部 優秀賞 『家族について』 大宮本部 平岡 和芳
自分が生まれてすぐに父親は亡くなりました。物心ついた頃の自分の家族は母と祖母と自分の3人家族でした。自分には父親がなく、兄弟もいませんでした。子供の頃は父親や兄弟のいる家族というものに非常に憧れていました。父親というもの、兄弟というものがどのようなものか知らずに今に至ります。
今、自分は父親が亡くなった時の時の年齢をとうに越えています。そして結婚をして2人の子供のいる4人家族です。自分の子供達には、自分が知らずに育った父親・兄弟というものがあります。自分が子供心に憧れていた家族の形が今存在します。父親というものを知らずに育った自分が今、父親というものをやっています。非常に不思議な思いです。自分が父親とはこうあってほしいと思う父親像とどの位近いでしょうか…。子供達にとってこういう父親でありたいという思いの中で日々過ごしています。この年齢になった今でも空手を続けているのは父親とは心身共に強い存在であるというその想いも理由の中の大きな一つであると強く感じます。
これからも自分の中の父親像とは、という想いを求め、日々空手の修業を通して心身共に鍛えていくつもりです。


一般の部 佳作 『家族』 大宮本部 松本 俊幸
私にとって家族とは、かけがえのない存在であると同時に大変身近に感謝、感動を示すことのできる唯一の場であると考えます。
そしてそうすることでなぜ自身が今まで健康に生きてこられたのか、学校や仕事、そして市川道場に通うことができるのかという意味が少しだけ見えてくると思うのです。
家族に感謝することは恥ずかしくてなかなかできないと思われるかもしれません(書いている私自身もそう思う一人です)。
しかし普段の中で少し意識することでそれは可能になります。
例えば、夕食が終って単に「ごちそうさま」と言うのではなく、「ハンバーグがおいしかった。ごちそう様でした。」と言えば、作って提供してくれたお母さん、もしくは妻も「ああ、作った甲斐があった。」と喜んでくれるはずです。
私自身、社会へ出て仕事をしていますが、人間関係がうまくいっていない原因は、この感謝の言葉を言っていないか、うまく伝わっていないことが多いのです。
今は情報化社会で、メールやLINE等のソーシャルネットワークが多様化しており、言葉でなかなか伝えることができにくい環境になっているのも実状です。
また親の虐待や保護責任の放棄等もこういった親子のコミュニケーションが十分にとれていないことが原因の一つではないかと考えられるのではないでしょうか?
私達は、家族の理解や支援、そして周りの方々のご指導がなければ、一人で生きていける強い人ではないと思います。
だからこそ、今一度身近で最も安心できる家族に対して、自身はどういうふうに接してきたのかを振り返って考えてみても良いのではないでしょうか?
その時に自然と感謝の気持ちが表現できれば最高です。
私自身、親と子、そして支えてもらっている妻に感謝の気持ちをもってこれからの人生を生きていきたい。以上。


一般の部 佳作 『友だちとは』 大宮本部 坂 晋宏
友だちとはいったい何だろうか。普段何気なく使う言葉でも深く考えてみると、とても難しいことに気づく。なぜか。それは定義がほぼ存在しないからだろう。いや、個々の定義は存在するのだが、普遍的な定義が存在しないと言った方が良い。
人との関わりにおいて、友だち以外にも知り合い、親友、先生、上司、先輩、後輩など様々な呼び名、形が存在する。
友だちについて考える場合、最も関係してくるのは、知り合いと親友だろう。
では、友だちと知り合い、親友の違いは何か。これには人それぞれ様々な意見があるだろう。例を示せば、知り合いはただの顔見知り、友だちは気楽に話せる人、親友は気を遣うことなく心を許せる人といったような具合だ。また人によっては、全人類が友だちであり家族と言うように考える人もいるだろう。
これには、本当に多種多様の意見が見受けられる。
さて、ここで私の考える友だちについて述べさせていただく。私にとっての友だちとは、共通の苦楽を経験してきた人である。少し定義が狭いように思われるかもしれないが、語弊を恐れず言えば、私は人見知りでなかなかすぐに人とは打ち解けられないところがあるからだ。一緒に共通の何かにとりくみ苦楽を共有することで、相手の気持ちや考えを知り、また思いやりを持つことができ、そこで初めて友だちと思えるのである。
また、私の考える友だちの定義はもう一つある。それは、将来いつ会おうともその当時のままでいれる人ということである。
出会いは別れの始まりというように、時が経てばそれまでよく関わっていた人とも会わなくなることがほとんどだ。もし縁があり出会う機会があった時に、何も変わらずその当時のままで接することができる人、それが友だちである。環境の変化、地位、経験といった様々なことが理由となり、人の価値観は大きく変わっていく。そういった中で、立場、価値観が変わっても変わらぬ付き合いができる人。まだ23歳の若輩者がこういった事を述べるのは大変おこがましいとは思いますが、私にとっての友だちはそういう人である。


一般の部 佳作 『友達・家族』 大宮本部 賀川 康弘
自分は元来、人嫌いな所があり、相手に気を遣って接する事が、年々、めんどくさくなっており、仕事以外であまり、しゃべりたくなくなってきてます。ですから、ここ最近友人と呼べるような間柄になった人はいません。
ですが、学生時代、特に高校の時の友人は特別で、どれだけブランクがあっても昔のまま気を遣う事もなく気軽に話せる、気のおけない仲間がいます。住んでいる場所やそれぞれの立場は変わりましたが、皆が揃えば一瞬で30年前にタイムスリップした様に10代の頃にもどれるのです。話の内容は昔と多少変わりましたが…
家族は、自分はおかげさまで両親も健在で、姉、弟と5人家族共に健康で居てくれます。妻も元気で頑張ってくれています。家族には、いつもささえられ感謝しています。いつか恩返し出来ればと思っているのですが、なかなか実現しません。気長に待ってもらいます。友達にしろ家族にしろ、よくこの我がままな人間に付き合ってくれています。感謝、感謝です。