第8回作文コンクール入賞作品

中学生・高校生の部 最優秀賞 武田 一稀
              優秀賞  徳永 青空
               佳作   吉村 祐紀
                     世古 栞
                     中西 亮祐


『思いやりとは』 広陵道場 中学・高校生 最優秀賞 武田 一稀
「思いやり」って何だろう。小学校の時から道徳の授業で「思いやりを大切にしよう」などといって聞いたことはあるが、優しさや親切とはちがうものなのだろうか。
人に何かをしてあげる、友達が教科書を忘れて困っていたら貸してあげる。これをすると「優しいね」や「親切だね」とは言われれるかもしれない。でも「思いやりがあるね」などとは言われないだろう。だから僕はちがうものだと思う。優しさと思いやりのちがいを簡単に言うなら、心の内側の気持ちか外側の気持ちか、だと僕は思っている。内か外かで考えると、僕は内側の気持ちを選ぶ。理由は、教科書を貸す、誰かの消しゴムを拾う。これは優しさである。でも考えてみるとこれは、一時的なものだと思う。つまり、その場だけのものといってもいいだろう。これに対して思いやりとは、心から相手のことを考える、つまり、心の中にその人のことが残ることだと思う。心の外側のものは時間がたつと忘れて一時的なものとなる。内側のものは心に残り相手のことを考え続ける。結果、人の対する考えの深さのちがいを表すことだ、と僕は考えたからだ。
人によって言葉のとりかたが違う。重くとる人もいれば、忘れるくらい軽くとる人もいる。この作文に書いたことは全て僕自身の考えである。反対に「同じものだ」という人もいるだろう。それでも僕は自分の意見は変えない。僕はこのことを生かして、友達に対する考え方を変えてみようと思う。それを変えることが出来たら「親友」が増えると思う。僕は親友を十人以上つくる事を目標に「思いやり」を生かしていきたい。


『思いやり』 大宮道場 中学・高校生の部 優秀賞 徳永 青空
「思いやり」って何だろう。私が思いついたのは、相手の立場に立って考える事です。自分の立場ばかり考えていると、周りが見えなくなって正しい行動をとる事が出来ません。相手のことを考えると、その場にあった行動をとる事が出来ると思います。
そして、思いやりの心を持てば持つほど、良くなってかえってくるのです。相手のために良いことをすると、何倍にもなってかえってきます。
あるコマーシャルでこんな詩がありました。「思いは、誰にも見えないけれど、思いやりは、誰にでも見える。」という詩です。これは金子みすゞさんが書いたものです。
この詩に込められた意味は、“思い”を“思いやり”に移すという事です。誰にでも出来ることではないですが“思い”を“思いやり”にして、よりたくさんの人に、笑顔を届けていきたいです。


『思いやり』 広陵道場 中学・高校生の部 佳作 吉村 祐紀
思いやりというのは人が、別の人のために行う行動のことだと思っています。例えば電車の中で席をゆずるとか、重そうな荷物を持つなどが、一般的なものだと思います。思いやりは、したほうもされた方も笑顔になることが出来ます。
私にも、そんな経験があります。学校の掃除の時間の時のことです。私はゴミ捨て場担当で、とてもゴミが多い日でした。しかも、冬だったので、風邪で休みの人がとても多く、ゴミ捨て場を担当していたのは私を入れて三人だけでした。三人だったので、とても大変でした。掃除の時間が終わっても、まだ作業は終わりません。そこに、私の友達が来て「手伝うよ。大変でしょ。」と言ってくれたので、とても嬉しかったです。自分の掃除も大変だっただろうし、寒かったのに来てくれたから「ありがとう。助かったよ。」と言いました。もう少しかかると思っていた掃除もはかどり、それからすぐに終わりました。
人と人とが思いやることで、できることが多くなり、協力もするようになります。それに、心も明るくなります。
しかし、世の中には悪い思いやりもあります。本当に人のためを思っていない思いやりです。例えば、宿題を写させてあげる、などが、それにあたります。これでは、人に楽はさせますが、勉強にはなっていません。これは、本当に思いやってやっている行動ではありません。
本当の思いやりは何なのかどうか、考えて行動し、生活していきたいと思いました。


『道場で気付けた事』 大宮道場 中学・高校生の部 佳作 世古 栞
私は思いやりという言葉を聞いて、真っ先に、ある事を思い浮かべました。
ある日、ご老人が大きな袋を下げて歩いておられました。そして手に持っていた細々の物を落とされました。私はハッと思い、落ちた物を拾う筈が、「私が手伝わなくても大丈夫かな。もしかしたら余計なお世話かもしれない。」と、変な考えに弄ばれました。そうしている間にご老人は腰を叩きながら物を拾い立ち去ってしまいました。私はもやもやを抱かえたままその場を後にしました。
私はふと小さいころを思い出しました。電車に乗っている時、私はよく席を譲っていました。小さい時に何の気なしにできていた事が、今となっては戸惑いできなくなっていることに気付きました。そしてもう一つ、「他人だから関係ない」と心のどこかで思う自分も見付けました。
日々大人に成長してゆく過程で、私は思いやりに背を向けはじめているのかと考えました。今回の例えは道端での事ですが、大なり小なり他にもたくさんのケースがあるでしょう。「他人だから」「余計なお世話かも知れない」「余裕がない」そのような思考に囚われず、赴くままに動く事ができたら、自分の中でより温かな人との関わりが築けるのではないかと思いました。
私の今の目標は、自分に勝つ事です。思いやりとは一見何の関わりも無いように思いますが、思いやるには考えず行動することが大切であり、それは今の私にとってはとても重要な課題である。
誰の為にする事も、結局は自分の為にする事なんだと気付いた私でした。


『思いやり』 大宮道場 中学・高校生の部 佳作 中西 亮祐
あまり思いやりの意味を知らないけど自分は相手の気持ちを考えて行動し言葉に気をつける事だと思います。
前にいじめのニュースをテレビで見ました。一人ではできないから誘い、また誰かを誘い、集団で一人をイジメる。集団だからか調子に乗ってイジメがヒートアップし自殺につながる。でもイジメてる側は、また何も考えずに一人をイジメる。そのイジメを止めると自分が的になると考え、口出しできない。イジメ集団に何を言おうが変わらない。だって集団だからです。
一人一人が思いやりの気持ちをもっていればイジメはおきないと思います。イジメる事は悪い事です。でももっと悪いのは、イジメを悪い事だとわかってて、やめようと言えないで一緒にイジメてる事です。少しでも思いやりの気持ちがあれば友達を傷つけるような事はできないと思います。イジメてる子にやめようと言うこともその子に対しての思いやりだと思います。